お金の教室 ぼくらがおかしなクラブで学んだ秘密②

 

前回の記事はこちらです。お金の教室 ぼくらがおかしなクラブで学んだ秘密

 

(読んでほしい人)

・お金と経済について全然わからないけど、難しい専門書は読んでもよくわからない、と思ってる人(入門書の役割)

・「お金」について学んで、子供教育に生かしたい、と考えてる人

 

 

前回、様々な職業を「かせぐ(世の中に役に立つ)」と「ぬすむ(世の中に役に立たない)」に分類し、サラリーマンや銀行マンを分類し、同じ職業(肩書き)でも、どちらにも分類できること、そして議論の必要な“売春婦(夫)”や“ギャンブル”について、“必要悪”ということばがあることを書きました。

 

今回も、気付いた点や良かった点など、参考にしたい図など、紹介していきます。

 

「かせぐ」と「ぬすむ」と「もらう」

 

この、世の中の役に立っているかどうか、生まれてきた世界を公園に例えます。

 

 

たとえば、公園=世の中とします。

 

自分のごみを出して、自分のごみを片付ける人は「もらう(フツーの)人」。これは、自分のごみを片付けるのを他の人に頼んでも、自分のこと、自分の責任は全うする人のことも指します。

 

自分のごみを片付けない、ごみを出すだけ出して全く直さない人は「ぬすむ人」。

 

そして、自分のごみを片付けるだけでなく、他の人のごみまで片付けてあげる人、公園(世の中)をより良くしようと、公園を整備・花や木を植えて、他の皆が喜ぶことをしてる人を言います。

 

世の中の構図を、凄くシンプルに表していますね。これは、子供たちに伝えるのにもつかえるのではないでしょうか??

 

公園(世の中)では、自分のごみを出して、片付けられない人もいる。しかし、それ以上に公園を自分の分以上に片付けてくれる人がいるので、バランスが取れています。

 

 

GDPで考える

GDP(Gross Domestic Products)とは、国内総生産です。

 

GDPとは:モノ、サービスも含めた、ある国の中で作られたものを全部合わせたもの。誰かがモノやサービスを買うと、「GDP」になる。人々がモノやサービスを前よりたくさん生み出せば、「GDP」は増える。これが、経済成長。

GDPは3か月単位で点検されており、景気が良いか悪いか調べられている。年に1回、より正確なGDPも計算されている。

 

そして、GDPは以下の式で表される。

 

GDP=1人当たりGDP×総人口

 

つまり、GDPをあげるには、一人当たりのモノ・サービスを含めた生産性を上げること、人口が増えることが挙げられます。

 

最初の公園の例でいうと、

「かせぐ人」=一人当たりGDP(↑)

「ぬすむ人」=一人当たりGDP(↓)

 

ということが分かります。

 

ここで、「もらう人=フツー」の人の基準が難しくなります。

 

「かせぐ」と「ぬすむ」は両極端ですが、「フツー」は幅広くなります。

 

ここで、大男の先生からフツーについて考えるように宿題がでます。そして、中学生二人は普通について考えます。

 

中学生2人は、フツーの分け方について、「テストの平均点」の考え方で分けようと考えます。

 

テストの平均点を出し、仮に平均点が60点だとするとどうかを考えます。しかし、平均60点の中には0~100点の人がいるため、60点以下の人も存在します。

 

そうすると、60点以下は「ぬすむ」になるのか??

 

ここで中学生二人は「人それぞれ、やれる範囲で自分の仕事をきちんとやる、持ち場を守ることが良いのでは」と結論付けます。

 

テストの点数をGDPで考えると、平均GDPを大きく超えている人たちは「かせぐ人」、GDP平均値くらいの人たちは「もらう人」、GDPを大きく下回る人たちは「ぬすむ人」です。

 

フツー最高

大男「親の財布から無断で小遣いと同額のお金を抜き取るのは良いことですか?」

という問いがあります。

 

もちろん、中学生はだめですと答えます。

 

大男「では、小遣いと同じ金額を親の財布から抜きとった月に、親が子供に小遣いを渡し忘れてしまったら??実害、つまり親の財布から減るお金は同じです。親の財布事情からいうと、“もらう”と“ぬすむ”の経済的な損失が一致します。」

 

GDP、経済的な考えでは、お金の流通量は同じです。この違いは何か??

 

それは、“合意の有無”だといいます。合意があるかないか、ここが重要と言います。

 

そして、大男の先生よりフツーについてさらに考えを深めるため、次のキーワードについて宿題が出されます。

 

“生活保護”

 

日本国憲法第25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 

つまり、法治国家の日本では、法の下、“生活保護”の人たちは、「もらう=フツー」に当てはまります。公園(=世の中)のたとえでいうと、自分のごみは最低限集める人達です。

 

しかし、経済の考えで言うと、GDPを大きく下回っており、国から援助(国民から集めた税金)を受けています。そして“同意(法)”の下、GDP下回っている人たちも、「ぬすむ」ではなく、「もらう=フツー」に分類されます。

 

福祉とは、年金や医療保険、生活保護などが代表。近代国家に制定された制度が福祉制度である。この「福祉国家成立前」は、家族や王様、宗教団体に頼るしかなかったとのこと。

 

しかし、生活保護受給者の中で、問題になっている「不正受給」問題。

生活保護でも、この“合意”の点で考えると、多くの方の批判の声があがるところをみると、不正受給は“合意がない”と考えます。そうすると、

 

「税金払っている人たち」:かせぐ

「生活保護受給者」:もらう

「不正受給」;ぬすむ

 

となります。経済でみる視点、法律や人同士の“合意”があるかどうかの視点、色々考えさせられることが多いです。

 

大男の先生より、もう一つフツーを考えるうえでキーワードが出されます。

 

障害者

 

中学生二人は、大男の先生にある工場に連れていかれ社会科見学します。

 

その工場では、“障害者”の方も働いています。その障害者の方たちは、同一作業に特化した仕事を任されます。マルチタスクでなく、一つの仕事を集中すること、著者内に登場する障害者の方たちは、同一作業(得意なこと)を通して、仕事を行い勤労します。

 

ここで、日本人の平均年収と最低賃金の話が出てきます。

著書内情報例にすると、

日本人平均年収400万円

障害者 平均月収15万 15万×12(か月)=約200万(年)

 

平均GDP、400万として、最低賃金の人たちは普通の1/2の生産性。

 

しかし、これらの人達、GDP低いからといって「ぬすむ」に分類ではなく、「もらう」に分類ではいいのでは??と大男の先生より言われます。

 

ただ単に、人を経済だけで、お金をどれくらい稼げるかだけをものさしにしていては、この「もらう(フツー)」と定義する人達は、平均以下になってしまいます。

 

人をお金だけで考えるのはおかしい、年収だけで判断するのはおかしい、という考え方に気付くことができます。

 

1人1人が、役割を全うする。社会の中で、自分のできることをやる、公園でいうところの自分のごみは自分で片付けるようになる、つまり「フツー最高!」ということの意味も頷けます。

 

 

「経済」の視点、「経済だけでははかれない」視点、自分の役割を全うする、つまりフツーでも大丈夫ということなど、多くのことをこの本から学べました。

 

今日も学びをありがとう。